2016年10月13日木曜日

19.愛の全力疾走~エピローグ~

 会議室を出ると、ブブブブブッ、ブブブブブッ。机の上で盛大にマナーモードのスマホが叫んでいる。
 あ!由香だ!僕は全力で走るとスマホを掴みタッチする。
「バカァァァァァ!いつになったら来るのよぉぉぉぉぉ!ずっと待ってるのにぃぃぃぃぃ!」泣き声で絶叫する由香。
「わかった!すぐ行く!」
 叫ぶと後も見ずに駆け出す。待っててくれたんだ、待っててくれたんだ、と心がぐわんぐわん踊る。一刻も早く由香の元へ。エレベーターに乗らず階段を駆け降りる。
 その時思い出す。しまった!笹部みはるのJOYのハモリ練習してない!

 道路に飛び出し走りながらYouTubeで検索する。動画を探し当てるとカバンからヘッドフォンを引っ張り出し耳に押し込み、ジャックをスマホに突っ込む。再生ボタンをタッチすると音が頭の中に流れ出した。僕は全力で走る。由香の元へ。

 女性ボーカルの優しい声が囁くように響き出す。


この広い宇宙の片隅で~♪

出会えたこの奇跡~♪

たった一人のあなたに巡り合えた喜び~♪

JOY~私は歌う~♪

あなたがいてくれる喜びを~♪

生まれて来た日も場所も違う二人だけど~♪

この世界が終わる時が来ても~♪

きっと二人は一緒だね~♪


 魂を揺さぶられるような衝撃が身体中を貫く。感動で頭の中がぐちゃぐちゃになる。
 何だよ、由香、言ってくれなきゃわかんないよ。この歌を一緒に歌いたいって言ってよ。二人で一緒にこの歌を歌いながら死にたいって言ってくれなきゃわかんないじゃないか!

 ばかだな、由香。ホントにばかだ。そう言ってくれたらさ、桑田課長なんて絶対すっ飛ばして、由香のところへ行ったのにさ。
 由香のまっすぐな想いが胸に突き刺さり、僕の胸はめちゃめちゃ熱くなる。

 僕はぼろぼろ泣きながら中央通りを走る。永代通りを右に曲がり走る走る走る。
 待っててくれよ、由香。ホモサピエンス40万年の誇りを賭けて歌うからさ。

 二本目の角を左に曲がったら赤い派手な「コーラス」の電飾が光っていた。
 よし!もうすぐだ!

※小説主題歌「地球最期の日」はこちら(音声のみです)

2016年10月12日水曜日

18.驚愕の真相

「日本国国民の皆さん、私はこの会見の冒頭で皆さんにお詫びしなくてはなりません。結論から先に申し上げますと、小惑星の衝突による地球の終わり、というのはまったくの虚偽でした」
 えぇぇぇぇぇ~?!衝撃の告白という言葉があるが、それを大きく超えるこの衝撃。思わず腰が浮き上がる。
「小惑星の衝突などという事実は最初から無かったのです。国民の皆さんを騙した形になり慙愧の念に堪えません。しかし、こうするしかなかったのです。私がこれからお話しすることを是非真摯にお聴きいただき、皆さん一人一人が是非本当の意味で本件の事情をご理解いただくことから、世界の再建が始まるのだと思います」
 嘘だった。最初から何もなかった・・・。
 あまりの驚きに言葉も出ない。桑田課長も同じだったようで固唾を飲んで画面に見入っている。
「小惑星の衝突は虚偽でしたが、世界が人類始まって以来の危機を迎えていたのは事実です。1か月ほど前から核戦争が起こることが現実となろうとしていました。もういつ核ミサイルの発射ボタンが押されてもおかしくない状況だったのです。そしてそれは最終決定者である一国の大統領や首相といった人たちにも、もう止めることができない最終局面だったのです。国のパワーバランスは多くの勢力の思惑が複雑に入り組んでいます。核のボタンを押すことは勿論愚かなことですが、押さないことで自国が存在意義を失い一国が終焉を迎えるリスクを国のリーダーが選べない場合もあります。まさに1か月前はそういう状況にありました。一人が核のボタンを押せば、他国のリーダーも押さざるを得ないのです。そしてそれは実質的に世界の終焉を意味します。世界中に核爆弾は25,000発以上存在します。そのうちの100発が地球のどこかに落ちただけでも、その煙は地球を覆いつくし、日光を遮断し植物が枯れ果てるのをご存知でしょうか?地球の滅亡はもはや不可避の状況だったのです。そこで主要国の代表者による昼夜を問わずのWEBを使った論議が続けられました。その結果、どうせ核戦争で世界が終焉を迎えるのなら、最後に人類の本質について全世界の人たちが考えるべきではないか、との意見が出され最終的に全員が賛同しました。それが今回の『完全なる世界の終りの体験』です。国民の皆さんは地球最後の日を迎え何を思ったでしょうか。絶望でしょうか。恐怖でしょうか。まったく希望のない完全な終わりという状況の中、皆さんの胸に押し寄せた感情は何でしょう」
 矢部首相はコップの水を一口飲み千し、目に力を込めて続けた。
「多くの人が感じたのは愛ではなかったのでしょうか。ご家族や恋人やご友人や会社のご同僚や、野山や海や風や、生きとし生けるものすべて、そしてこの世界で目に見えるものすべてに対する愛や哀惜の念だったのではないでしょうか。核戦争で終わるべき世界を疑似体験していただき、この地球がいかにかけがえのないものであるかを全世界の人たちに感じていただき、私利私欲を捨て新しい価値観のもと新しい世界を創るために私たちは立ち上ったのです。国民の皆さん、世界は生まれ変わりました。そしてこの新しい価値観のもと、領土問題、民族問題、宗教問題など我々が抱えているすべての解決不可能と思われていた課題にもう一度取組む時が来たのです」
 矢部首相は泣いていた。大粒の涙がぼろぼろと零れたが、言葉は淀みなく続き僕の胸を打った。僕も泣けてきた。桑田課長も嗚咽を漏らし、両手で顔を覆った。
「日本国国民の皆さん、わが日本国は今後の新しい世界の平和と安定に重要な役割を果たします。どうか私と一緒に新しい価値観の創造、新しい世界の創造に力を貸してください。地球最期の日はいつか来るのかもしれません。その日が来ても私たちは混乱することなく、静かで愛に溢れる終焉を迎えられることを理解しました。しかし、私たち人間がそのような原因を作ることだけは絶対にあってはならないのです。皆さんに結果的に虚偽の情報をお知らせしたことについては伏してお詫び申し上げます。皆さんのご理解をお願いいたします」
 矢部首相は深々と頭を下げ、しばらく頭を上げることはなかった。

 僕も頭を垂れこれまでの経緯に思いを巡らした。核戦争による世界の終り。回避のために必死に論議する世界のトップたち。信じられないような突飛な意見が誰かから出され、それが何と承認されていく、という場面が映画のシーンのダイジェストのように浮かんで来た。それは今までのどんな世界の危機よりも、回避が難しかったのだろう。そして今回の体験はきっと全世界の人々の中に新しい価値観を創るきっかけとなって、今までの最悪の流れを大きく変えることができるはずだ。
 桑田課長がリモコンを取り上げプチっとテレビを消した。立ち上がり右手を出して握手を求める。
「小西、明日からもよろしくな。まだ火曜日だ」
 いたずらっぽく笑う桑田課長。僕の心もめちゃくちゃ温かくなる。   叫び出したいほどの喜び。両手で課長の手を握り締めた。
「これからもビシビシ鍛えてください。課長について行きますから」
調子に乗りやがって~と笑う桑田課長。僕もでへへへへとだらしなく笑ってしまう。

※小説主題歌「地球最期の日」はこちら(音声のみです)


2016年10月11日火曜日

17.死んでるんじゃないの?

 ポンポンと誰かが肩を叩く。夢かな。しかし夢の主体である僕は溶岩のようなどろどろしたものに焼き尽くされもう溶けてなくなったはず。魂だけ残っているのか。魂でも肩を叩かれると感じるのか。混濁した頭で考える。
「小西!小西!」桑田課長の声だな、これは。
 僕は怖々目を開けた。天井の蛍光灯と僕と見下ろす桑田課長が見えた。
 え?僕はフロアに仰向けに倒れていた。
「大丈夫か?」
「あ、課長。僕は死んでるんじゃないんですか。さっき爆発が起きたじゃないですか」
 桑田課長は安心したように少し微笑んで、
「爆発なんて起きなかったぞ。急にお前が振り返って、びっくりしたような顔をして気を失ったから驚いたよ」と言った。
 そんなバカな。僕が見たのは幻だったと言うのか。時計を見ると9時10分。
「でも課長、惑星の衝突はどうなったんですか?」
「それがな、どうやら回避されたらしいんだ。9時15分から首相の会見がテレビであるってネットに書いてあったぞ」
 回避された?!何故なんだ?!と思うと同時に猛烈な安堵感でまた気を失いそうになる。
「会議室行くぞ」
 テレビのある会議室に向かって課長が歩き出した。起き上がり、慌てて後を追う。
 課長が椅子を二つテレビの前にセットし、リモコンを操作して会議室のテレビを付けた。
「おう、お前も座れ」
 課長の言葉に、ありがとうございます、と返して並んで座る。ほどなく矢部首相が会見台に現れた。深々と頭を下げると大きく息を吸い込んで思い切ったように話し始めた。

※小説主題歌「地球最期の日」はこちら(音声のみです)



2016年10月7日金曜日

16.最期の時

 課長は老眼鏡を外し、目を細め険しい表情で僕を見つめている。課長の席の前に立ち資料を差し出す。
「課長、出来ました。僕のサラリーマン人生で最高のプレゼン資料です。チェックお願いします」
桑田課長は重々しく頷くと老眼鏡をかけなおし資料を捲る。既に一回元原稿によるプレゼンは済んでいるので、スムーズにページが進んで行く。射るような視線でチェックをする桑田課長。
やがてページを捲る手が止まり、ふぅーと静かに息を吐いて桑田課長は立ち上がり、老眼鏡を外し正面から僕を見つめてこう言った。
「小西、よくやった。最高だ。お前は日本橋広告社の魂を受け継いだ立派な営業マンになった。本当にありがとう」
右手を差し出す桑田課長。僕も応じて机越しに右手を伸ばしたが、涙が止めどなく溢れ目が霞んでよく見えない。
僕は何も考えずに目標に向かうことの素晴らしさを初めて理解した。そしてそれはきっと課長が一番僕に伝えたかったことなのだろう。課長の手を探し当て僕は強く握り締めた。
「課長・・・有難うございました。よく分かりました。課長の気持ちが・・・初めて・・・。でも、もう遅いですよね・・・」
嗚咽が言葉を途切れさせた。最後の最後にわかってももう遅いんだ。僕は声をたてて泣きじゃくった。課長は握っていた手をそっと放し、机を離れ僕の横に寄り添うと、そっと僕の右肩を抱くように右手を乗せた。
「小西、この地球上から人類が全部いなくなる、ってことの意味がわかるか?」
 急にそんなことを言われ戸惑う僕は首を振る。
「ホモサピエンスは40万年ほど前に出現したと言われている。ここまで来るのに40万年かかってるんだ。お前がこの最高のプレゼン資料を作るまでに40万年かかってるってことだぞ。そしてそれが今日でゼロクリアになる。しかし誰が知っていようがいまいが、証拠があろうがなかろうが、この40万年の最後の仕事は誰かがやらなきゃならん。私はそれをお前に託した。人類が全部いなくなりゃ、また始めからやり直しだ。生物の始めからやり直すとしたら40万年どころじゃない。1億年かかるらしい。でもな福田、40万年後だろうが、1億年後だろうがいつかきっと誰かがまたこんな資料を作る日が来るんだ」
桑田課長の言葉は静かに僕の中に沁み込んで来た。人類最後のプレゼン資料を作る役割を担えたとしたら、僕が生きた32年も無駄ではなかったのだろう。ホモサピエンスの誇り、そんな言葉が浮かんだ。
「行ってやれ。彼女が待ってるんだろ」
え?言われて思い出す。そうだ。由香だ。由香が待ってたんだ!時計を見ると8時55分!あと5分しかない!でもともかく、ともかく行かなくちゃ!僕は席にダッシュし、カバンを引っ手繰るように抱えドアへ向かおうとした。

 その時左目の端に、窓の外に白い光が見えた気がして思わず振り返る。
 窓に背を向けて腕組みする桑田課長の背後に炸裂した小さな光の点が一瞬で大きく広がり、光の渦となってめちゃくちゃに僕を飲み込んで・・・。あ!・・・。

※小説主題歌「地球最期の日」はこちら(音声のみです)

2016年10月6日木曜日

15.魂の資料再作成

僕はすごすごとオフィスに戻りまたパソコンに向かった。さすがの桑田課長も雰囲気を察してか何も言わなかった。時計は7時半。
くっそぉー。怒りとも憤りとも悲しみともつかない炎のような感情が僕の内側から湧き起る。メラメラメラと燃え上がるその炎はやがてぐおぉーと燃え盛り、オーラのように僕を包み込んだ。

うおぉぉぉぉぉ!叫びが口から迸る。身体から立ち昇るそのメラメラはパソコンも包み込み、もはや身体と一体と化したノートパソコンのキーボードを異常な速度で両手の指が動いて行く。頭ではもう何も考えていない。ただただ文字が打たれ画像が動き画面がスクロールされて行く。
うおぉぉぉぉぉ!うおぉぉぉぉぉ!
もう叫んでいるのか、心の叫びなのかすらわからない。霞んだ視界の中、ページ数が30、35、40、45とぼんやりとめくれて行く。キーボードを叩く音だけが頭の中で響いている。まとめのページに入った。もうすぐだ、と感覚が知らせる。
うおおりゃぁぁぁー!最後のエンターキーを渾身の力で叩きつけるように押して作業が終わった。ページ数は55。

メラメラと燃えていた炎が徐々に薄れて行く。呼吸が荒い。身体中から汗がしたたり落ちる。そうだ、と気づき印刷キーを押す。 
ウィィィィーン。チームの島のドア側の端っこにあるプリンターが作動し紙を吸い込む。
ガッチャゴーン、ガッチャゴーンとプリントされた紙が吐き出される音がする。僕は目を瞑って音を数えながら呼吸を整える。汗は流れるままにして、ただただ数を数える。汗を拭く気力さえ残ってはいない。
38、39、40・・・54、55。ウィィィィーン、ガッチャ・・・。
印刷が終わった。僕は立ち上がりプリンターから55枚のプレゼン資料を取り出す。傍に落ちていたダブルクリップで左上を挟み、課長の席に向かう。


2016年10月5日水曜日

14.由香からの電話

 壁の時計は7時になった。由香の顔が浮かぶが振り払ってパソコンを睨みキーを叩き続ける。
 ブブブブブッ。激しく振動する僕のマナーモードのスマホ。表示は当然由香。そっと課長の席に目を向けると、鬼の形相で僕を睨む。仕方無く着信を無視する。
ブブブブブッ、ブブブブブッ、ブブブブブッ。留守電になったらしく電話が切れる。ともかく今は集中しなくちゃ。
ブブブブブッ、ブブブブブッ、ブブブブブッ。しかし尚も激しく震え出すスマホ。由香が諦めるはずもないか。えーい!この際止む無し!スマホを引っ掴みドアへダッシュ。
スマホにタッチして左耳にあて「ごめん!まだ会社!」と叫ぶ。
「えぇぇぇぇぇ?!」信じられない、と思う由香の心が凝縮した悲痛な叫び声が耳を劈く。
「何言ってんの?私待ってるんだからね。会社って何?仕事してるの?バカじゃないの。何で残業してるの?もう終わりなんだよ。あと2時間もないんだよ。だいたいね、いくら頑張ったって残業料もらえないでしょ~~~!」
そうだ。その通りだ。僕が残業料もらうべき時にはこの世界は存在しない。でも、僕も残業料が欲しくて残ってるわけじゃない。
「由香、聞いてくれ。これは僕と桑田課長の男と男の戦いなんだ。命を賭けた最終決戦だ。だから待っててくれ。必ず行くから。必ず駆けつけるからぁ~!」
 僕の絶叫はスマホを通して電波になって由香の心に突き刺さった、はず・・・。黙り込む由香。わかってくれたのかな・・・。
 と、突然僕のスマホが内部から爆発した、と錯覚するほどの大音量が僕の耳に弾けた。
「ばかぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 思わず耳を離す。ガチャッ!プープープー・・・。
 由香が思いっきり叫んだ後に電話を叩き切ったらしい。がっくり項垂れてしまう僕。しかし怒るのも無理はない。最後の晩餐ならぬ最後のカラオケ。楽しみにしていた笹部みはるのJOYのデュエット。僕が練習できなかったからそもそもデュエットは無理だが・・・。

由香には理解できないと思う。何故こんな時に残業するのか。僕ですらわからないのだから彼女にわかるはずもない。最愛の人を待たせたままプレゼン資料を作らなくてはならないこの状況は、誰に説明してもわかってもらえないだろう。


2016年10月4日火曜日

13.どうすりゃいいんだ!

 あああああ・・・。へなへなへなとその場に崩れ落ちる僕。四つん這いになって俯くだけの情けないこの感じ。絵里子が泣き出した。
「小西さん、どうするんですか。もう5時半過ぎてるですよ。だから、これじゃ荒いって言ったのに。やり直したら、やり直したら、会社で死ぬことになるじゃない。マキオが待ってるんだよ。マキオに会いたいぃぃぃぃぃ!」
マキオって誰だ。変な名前だな。どういう字を書くのか。混乱する頭が正常な機能を発揮せず、訳のわからない方向に向かう。
「小西、ちょっと聞いてくれ」
 サブリーダーの簗瀬が立ち上がった。
「お前の気持ちもわかる。どうしても時間までに仕上げなければならなかったからな。でも、課長の言い分もわかる。確かにお前のプレゼンはレベル以上だった。この限られた時間の中でここまで持って来たのは神がかり的だと思う。でも最高じゃない。うちの会社が大手に伍してここまでやって来れたのは、常に最高のクオリティを追及して来たからだ。模擬プレゼンがそこに達しない時は、いつも苦しみながらやり直して壁を乗り越えてきたじゃないか。もう一度やるんだ。これこそ日本橋広告社の魂だ!」
 真摯な瞳が僕を見据える。デザイナーの原田が立ち上がって口を開いた。
「簗瀬さんの言う通りだ。俺たちは最後の締めくくりの役を仰せつかったんだ。小西、もう一回チャレンジだ」
 コピーライターのさつきさんは泣いていた。
「小西君、わたしは・・・あなたを・・・信じてるわ・・・」
 くそぅ、やってやる。僕も男だ。そこまで言うならやってやる。
「わかりました。やります。課長を見返してやる!」
「それでこそ小西だ。よし、頑張れ」
 簗瀬が僕を抱え起こし、肩をポンポンと叩く。原田もさつきさんもうんうんと大きく頷いている。
「ところでな・・・」簗瀬が続ける。
「俺さぁ、子供が待ってるからそろそろ帰らなくちゃ、なんだよね。悪いけどお先に」
えぇー?!そんなぁ。僕も、私も、僕も、私も、と蜘蛛の子を散らすように足早に出て行くメンバーたち。
おぇー、ひ、ひどい・・・。残されたのは僕と絵里子。
「わ、私もぉー!」
と叫びながら走りだす絵里子。絵里子、お前もか・・・。
 会議室に一人残され途方に暮れる僕。腕時計を見たら5時55分。ハ、ハモりの練習は・・・。

パソコンを抱えフラフラとフロアに戻ると誰もいない。いや、一人だけ残っている。桑田課長だ。いつものように厳しい顔でパソコンを睨んでいる。どうしたらいいんだ。席に座り考える。
簗瀬には勢いに押されてああ言ってしまったが、もう仕事なんて関係ないじゃないか。どうせみんな今日死ぬんだ。当然由香との約束を優先し、何故歌いながら死ぬのかは別として、今はすべてを投げうって会社を出てカラオケに行くべきだ。当たり前のことだ。何が悲しくて桑田課長と二人っきりで会社で死ななきゃならないんだ。
7時までにプレゼン資料を作り直すのは不可能だ。どんなに頑張っても3時間はかかる。つまり完成はぎりぎり9時・・・。
ふうぅぅぅぅ。僕は深~いため息をつく。人生の岐路。人生はもうそんなにないけど岐路は岐路。行くべきか、行かざるべきか。「失礼しまーす!」と叫び駆け出せばすべては解決する。どうする博志。立ち上がれ。立ち上がってしまえば走りだせる。よし!行くぞ!と腰を浮かせた瞬間に、
「小西ぃぃぃぃ!早くせんかいぃぃぃぃ!」桑田課長が吠えた。はいー!条件反射で答えてしまう僕。
ごめんよ由香。会えないかも知れない。心の中で手を合わせる。理屈じゃないんだ。今の環境とこれまでの経緯や歴史や桑田課長との関係や、いろんなものがごちゃごちゃになって僕を席に縛りつける。
くっそー!やればいいんだろ!開き直った気持ちでパソコンを開けて画面を起動する。プレゼン画面を呼び出し修正を始める。ホントは僕にもわかっている。書き飛ばしたところを丁寧な表現に変え、ストーリーを固めつながりを良くすればいいのだ。しかし原稿は50枚強。そう簡単には進まない。ともかく作業に集中するしかない。

2016年10月3日月曜日

12.最後のプレゼン

それから30分、身振り手振りも加えて熱弁を奮った僕。仕事は地道な努力と瞬発力。気合いを入れればこんなもんだ!ってな感じで、突っ走った。絵里子のフォローも完璧。
「以上です。ご静聴ありがとうございました!」
叫ぶように締めくくると、おー、という歓声とともにメンバーから拍手が沸いた。やったー!終わったー、と絵里子を見ると、大きく頷いて拍手してくれている。やったなー。感概が胸を熱くする。
課長は、と見ると拍手どころか腕組みをして首を45度右に傾け虚空を睨んでいる。え?!このポーズって・・・もしかして・・・ダメ出しの時の・・・。
思う間もなく桑田課長がガバッと立ち上がった。
「小西、お前の仕事には心がない。きれいな花は枯れるだけ。雑草の強さが欲しい・・・」
呟くように言い残すと課長は僕に背を向けてすたすたと出口へと向かう。だめだだめだだめだ。やり直す時間はない。絶対に無理。しかも、そんな抽象的のコメント残して行くなんて、伝説の空手の師匠じゃないんだからさぁ。身体の中から突然湧き出る僕の叫び。魂の叫び。
「か、課長ぉぉぉぉぉ!許して下さいぃぃぃぃぃ!もう時間がないんですぅぅぅぅぅ!」
ドアに手をかけたまま振り向く桑田課長。身体は完全にドアに向かい、顔だけを45度こちらに向けている。眼鏡の奥の目がキラリと妖しく光った。
「お前はわかってるはずだ。これはやっつけ仕事だろ。日本橋広告社はな、山口一成初代社長の時代から、心を売る仕事を続けてここまで来たんだ。お前はこの最後の最後で、初代社長の顔に泥を塗る気か?えぇ?!小西ぃ、泥を塗る気なのかぁぁぁぁぁ?!」
吠える桑田課長。全員の血の気が引くようなこれこそ魂の叫び。僕もぞわっと全身の血が後ろに引っ張られる感覚に倒れそうになる。でも、由香の怒ってる映像がフラッシュバックし、課長に重なる。ダメだ。せめてもうちょっとツメないと。
「課長!どこを直せば!」食い下がる僕。
「やかましい!自分の胸に訊け!」課長は吐き捨てるように言うとドアの向こうに姿を消した。

  
主な登場人物
小西博志:主人公。広告代理店勤務のサラリーマン。
桜井由香:博志の彼女。商社勤務。
桑田課長:博志の上司。あだ名は瞬間湯沸かし器。
村上:博志の同僚。同期。
黒田:博志の同僚。同期。
小杉絵里子:博志の同僚。ペアを組んでいる。