2016年10月13日木曜日

19.愛の全力疾走~エピローグ~

 会議室を出ると、ブブブブブッ、ブブブブブッ。机の上で盛大にマナーモードのスマホが叫んでいる。
 あ!由香だ!僕は全力で走るとスマホを掴みタッチする。
「バカァァァァァ!いつになったら来るのよぉぉぉぉぉ!ずっと待ってるのにぃぃぃぃぃ!」泣き声で絶叫する由香。
「わかった!すぐ行く!」
 叫ぶと後も見ずに駆け出す。待っててくれたんだ、待っててくれたんだ、と心がぐわんぐわん踊る。一刻も早く由香の元へ。エレベーターに乗らず階段を駆け降りる。
 その時思い出す。しまった!笹部みはるのJOYのハモリ練習してない!

 道路に飛び出し走りながらYouTubeで検索する。動画を探し当てるとカバンからヘッドフォンを引っ張り出し耳に押し込み、ジャックをスマホに突っ込む。再生ボタンをタッチすると音が頭の中に流れ出した。僕は全力で走る。由香の元へ。

 女性ボーカルの優しい声が囁くように響き出す。


この広い宇宙の片隅で~♪

出会えたこの奇跡~♪

たった一人のあなたに巡り合えた喜び~♪

JOY~私は歌う~♪

あなたがいてくれる喜びを~♪

生まれて来た日も場所も違う二人だけど~♪

この世界が終わる時が来ても~♪

きっと二人は一緒だね~♪


 魂を揺さぶられるような衝撃が身体中を貫く。感動で頭の中がぐちゃぐちゃになる。
 何だよ、由香、言ってくれなきゃわかんないよ。この歌を一緒に歌いたいって言ってよ。二人で一緒にこの歌を歌いながら死にたいって言ってくれなきゃわかんないじゃないか!

 ばかだな、由香。ホントにばかだ。そう言ってくれたらさ、桑田課長なんて絶対すっ飛ばして、由香のところへ行ったのにさ。
 由香のまっすぐな想いが胸に突き刺さり、僕の胸はめちゃめちゃ熱くなる。

 僕はぼろぼろ泣きながら中央通りを走る。永代通りを右に曲がり走る走る走る。
 待っててくれよ、由香。ホモサピエンス40万年の誇りを賭けて歌うからさ。

 二本目の角を左に曲がったら赤い派手な「コーラス」の電飾が光っていた。
 よし!もうすぐだ!

※小説主題歌「地球最期の日」はこちら(音声のみです)

2016年10月12日水曜日

18.驚愕の真相

「日本国国民の皆さん、私はこの会見の冒頭で皆さんにお詫びしなくてはなりません。結論から先に申し上げますと、小惑星の衝突による地球の終わり、というのはまったくの虚偽でした」
 えぇぇぇぇぇ~?!衝撃の告白という言葉があるが、それを大きく超えるこの衝撃。思わず腰が浮き上がる。
「小惑星の衝突などという事実は最初から無かったのです。国民の皆さんを騙した形になり慙愧の念に堪えません。しかし、こうするしかなかったのです。私がこれからお話しすることを是非真摯にお聴きいただき、皆さん一人一人が是非本当の意味で本件の事情をご理解いただくことから、世界の再建が始まるのだと思います」
 嘘だった。最初から何もなかった・・・。
 あまりの驚きに言葉も出ない。桑田課長も同じだったようで固唾を飲んで画面に見入っている。
「小惑星の衝突は虚偽でしたが、世界が人類始まって以来の危機を迎えていたのは事実です。1か月ほど前から核戦争が起こることが現実となろうとしていました。もういつ核ミサイルの発射ボタンが押されてもおかしくない状況だったのです。そしてそれは最終決定者である一国の大統領や首相といった人たちにも、もう止めることができない最終局面だったのです。国のパワーバランスは多くの勢力の思惑が複雑に入り組んでいます。核のボタンを押すことは勿論愚かなことですが、押さないことで自国が存在意義を失い一国が終焉を迎えるリスクを国のリーダーが選べない場合もあります。まさに1か月前はそういう状況にありました。一人が核のボタンを押せば、他国のリーダーも押さざるを得ないのです。そしてそれは実質的に世界の終焉を意味します。世界中に核爆弾は25,000発以上存在します。そのうちの100発が地球のどこかに落ちただけでも、その煙は地球を覆いつくし、日光を遮断し植物が枯れ果てるのをご存知でしょうか?地球の滅亡はもはや不可避の状況だったのです。そこで主要国の代表者による昼夜を問わずのWEBを使った論議が続けられました。その結果、どうせ核戦争で世界が終焉を迎えるのなら、最後に人類の本質について全世界の人たちが考えるべきではないか、との意見が出され最終的に全員が賛同しました。それが今回の『完全なる世界の終りの体験』です。国民の皆さんは地球最後の日を迎え何を思ったでしょうか。絶望でしょうか。恐怖でしょうか。まったく希望のない完全な終わりという状況の中、皆さんの胸に押し寄せた感情は何でしょう」
 矢部首相はコップの水を一口飲み千し、目に力を込めて続けた。
「多くの人が感じたのは愛ではなかったのでしょうか。ご家族や恋人やご友人や会社のご同僚や、野山や海や風や、生きとし生けるものすべて、そしてこの世界で目に見えるものすべてに対する愛や哀惜の念だったのではないでしょうか。核戦争で終わるべき世界を疑似体験していただき、この地球がいかにかけがえのないものであるかを全世界の人たちに感じていただき、私利私欲を捨て新しい価値観のもと新しい世界を創るために私たちは立ち上ったのです。国民の皆さん、世界は生まれ変わりました。そしてこの新しい価値観のもと、領土問題、民族問題、宗教問題など我々が抱えているすべての解決不可能と思われていた課題にもう一度取組む時が来たのです」
 矢部首相は泣いていた。大粒の涙がぼろぼろと零れたが、言葉は淀みなく続き僕の胸を打った。僕も泣けてきた。桑田課長も嗚咽を漏らし、両手で顔を覆った。
「日本国国民の皆さん、わが日本国は今後の新しい世界の平和と安定に重要な役割を果たします。どうか私と一緒に新しい価値観の創造、新しい世界の創造に力を貸してください。地球最期の日はいつか来るのかもしれません。その日が来ても私たちは混乱することなく、静かで愛に溢れる終焉を迎えられることを理解しました。しかし、私たち人間がそのような原因を作ることだけは絶対にあってはならないのです。皆さんに結果的に虚偽の情報をお知らせしたことについては伏してお詫び申し上げます。皆さんのご理解をお願いいたします」
 矢部首相は深々と頭を下げ、しばらく頭を上げることはなかった。

 僕も頭を垂れこれまでの経緯に思いを巡らした。核戦争による世界の終り。回避のために必死に論議する世界のトップたち。信じられないような突飛な意見が誰かから出され、それが何と承認されていく、という場面が映画のシーンのダイジェストのように浮かんで来た。それは今までのどんな世界の危機よりも、回避が難しかったのだろう。そして今回の体験はきっと全世界の人々の中に新しい価値観を創るきっかけとなって、今までの最悪の流れを大きく変えることができるはずだ。
 桑田課長がリモコンを取り上げプチっとテレビを消した。立ち上がり右手を出して握手を求める。
「小西、明日からもよろしくな。まだ火曜日だ」
 いたずらっぽく笑う桑田課長。僕の心もめちゃくちゃ温かくなる。   叫び出したいほどの喜び。両手で課長の手を握り締めた。
「これからもビシビシ鍛えてください。課長について行きますから」
調子に乗りやがって~と笑う桑田課長。僕もでへへへへとだらしなく笑ってしまう。

※小説主題歌「地球最期の日」はこちら(音声のみです)


2016年10月11日火曜日

17.死んでるんじゃないの?

 ポンポンと誰かが肩を叩く。夢かな。しかし夢の主体である僕は溶岩のようなどろどろしたものに焼き尽くされもう溶けてなくなったはず。魂だけ残っているのか。魂でも肩を叩かれると感じるのか。混濁した頭で考える。
「小西!小西!」桑田課長の声だな、これは。
 僕は怖々目を開けた。天井の蛍光灯と僕と見下ろす桑田課長が見えた。
 え?僕はフロアに仰向けに倒れていた。
「大丈夫か?」
「あ、課長。僕は死んでるんじゃないんですか。さっき爆発が起きたじゃないですか」
 桑田課長は安心したように少し微笑んで、
「爆発なんて起きなかったぞ。急にお前が振り返って、びっくりしたような顔をして気を失ったから驚いたよ」と言った。
 そんなバカな。僕が見たのは幻だったと言うのか。時計を見ると9時10分。
「でも課長、惑星の衝突はどうなったんですか?」
「それがな、どうやら回避されたらしいんだ。9時15分から首相の会見がテレビであるってネットに書いてあったぞ」
 回避された?!何故なんだ?!と思うと同時に猛烈な安堵感でまた気を失いそうになる。
「会議室行くぞ」
 テレビのある会議室に向かって課長が歩き出した。起き上がり、慌てて後を追う。
 課長が椅子を二つテレビの前にセットし、リモコンを操作して会議室のテレビを付けた。
「おう、お前も座れ」
 課長の言葉に、ありがとうございます、と返して並んで座る。ほどなく矢部首相が会見台に現れた。深々と頭を下げると大きく息を吸い込んで思い切ったように話し始めた。

※小説主題歌「地球最期の日」はこちら(音声のみです)



2016年10月7日金曜日

16.最期の時

 課長は老眼鏡を外し、目を細め険しい表情で僕を見つめている。課長の席の前に立ち資料を差し出す。
「課長、出来ました。僕のサラリーマン人生で最高のプレゼン資料です。チェックお願いします」
桑田課長は重々しく頷くと老眼鏡をかけなおし資料を捲る。既に一回元原稿によるプレゼンは済んでいるので、スムーズにページが進んで行く。射るような視線でチェックをする桑田課長。
やがてページを捲る手が止まり、ふぅーと静かに息を吐いて桑田課長は立ち上がり、老眼鏡を外し正面から僕を見つめてこう言った。
「小西、よくやった。最高だ。お前は日本橋広告社の魂を受け継いだ立派な営業マンになった。本当にありがとう」
右手を差し出す桑田課長。僕も応じて机越しに右手を伸ばしたが、涙が止めどなく溢れ目が霞んでよく見えない。
僕は何も考えずに目標に向かうことの素晴らしさを初めて理解した。そしてそれはきっと課長が一番僕に伝えたかったことなのだろう。課長の手を探し当て僕は強く握り締めた。
「課長・・・有難うございました。よく分かりました。課長の気持ちが・・・初めて・・・。でも、もう遅いですよね・・・」
嗚咽が言葉を途切れさせた。最後の最後にわかってももう遅いんだ。僕は声をたてて泣きじゃくった。課長は握っていた手をそっと放し、机を離れ僕の横に寄り添うと、そっと僕の右肩を抱くように右手を乗せた。
「小西、この地球上から人類が全部いなくなる、ってことの意味がわかるか?」
 急にそんなことを言われ戸惑う僕は首を振る。
「ホモサピエンスは40万年ほど前に出現したと言われている。ここまで来るのに40万年かかってるんだ。お前がこの最高のプレゼン資料を作るまでに40万年かかってるってことだぞ。そしてそれが今日でゼロクリアになる。しかし誰が知っていようがいまいが、証拠があろうがなかろうが、この40万年の最後の仕事は誰かがやらなきゃならん。私はそれをお前に託した。人類が全部いなくなりゃ、また始めからやり直しだ。生物の始めからやり直すとしたら40万年どころじゃない。1億年かかるらしい。でもな福田、40万年後だろうが、1億年後だろうがいつかきっと誰かがまたこんな資料を作る日が来るんだ」
桑田課長の言葉は静かに僕の中に沁み込んで来た。人類最後のプレゼン資料を作る役割を担えたとしたら、僕が生きた32年も無駄ではなかったのだろう。ホモサピエンスの誇り、そんな言葉が浮かんだ。
「行ってやれ。彼女が待ってるんだろ」
え?言われて思い出す。そうだ。由香だ。由香が待ってたんだ!時計を見ると8時55分!あと5分しかない!でもともかく、ともかく行かなくちゃ!僕は席にダッシュし、カバンを引っ手繰るように抱えドアへ向かおうとした。

 その時左目の端に、窓の外に白い光が見えた気がして思わず振り返る。
 窓に背を向けて腕組みする桑田課長の背後に炸裂した小さな光の点が一瞬で大きく広がり、光の渦となってめちゃくちゃに僕を飲み込んで・・・。あ!・・・。

※小説主題歌「地球最期の日」はこちら(音声のみです)

2016年10月6日木曜日

15.魂の資料再作成

僕はすごすごとオフィスに戻りまたパソコンに向かった。さすがの桑田課長も雰囲気を察してか何も言わなかった。時計は7時半。
くっそぉー。怒りとも憤りとも悲しみともつかない炎のような感情が僕の内側から湧き起る。メラメラメラと燃え上がるその炎はやがてぐおぉーと燃え盛り、オーラのように僕を包み込んだ。

うおぉぉぉぉぉ!叫びが口から迸る。身体から立ち昇るそのメラメラはパソコンも包み込み、もはや身体と一体と化したノートパソコンのキーボードを異常な速度で両手の指が動いて行く。頭ではもう何も考えていない。ただただ文字が打たれ画像が動き画面がスクロールされて行く。
うおぉぉぉぉぉ!うおぉぉぉぉぉ!
もう叫んでいるのか、心の叫びなのかすらわからない。霞んだ視界の中、ページ数が30、35、40、45とぼんやりとめくれて行く。キーボードを叩く音だけが頭の中で響いている。まとめのページに入った。もうすぐだ、と感覚が知らせる。
うおおりゃぁぁぁー!最後のエンターキーを渾身の力で叩きつけるように押して作業が終わった。ページ数は55。

メラメラと燃えていた炎が徐々に薄れて行く。呼吸が荒い。身体中から汗がしたたり落ちる。そうだ、と気づき印刷キーを押す。 
ウィィィィーン。チームの島のドア側の端っこにあるプリンターが作動し紙を吸い込む。
ガッチャゴーン、ガッチャゴーンとプリントされた紙が吐き出される音がする。僕は目を瞑って音を数えながら呼吸を整える。汗は流れるままにして、ただただ数を数える。汗を拭く気力さえ残ってはいない。
38、39、40・・・54、55。ウィィィィーン、ガッチャ・・・。
印刷が終わった。僕は立ち上がりプリンターから55枚のプレゼン資料を取り出す。傍に落ちていたダブルクリップで左上を挟み、課長の席に向かう。


2016年10月5日水曜日

14.由香からの電話

 壁の時計は7時になった。由香の顔が浮かぶが振り払ってパソコンを睨みキーを叩き続ける。
 ブブブブブッ。激しく振動する僕のマナーモードのスマホ。表示は当然由香。そっと課長の席に目を向けると、鬼の形相で僕を睨む。仕方無く着信を無視する。
ブブブブブッ、ブブブブブッ、ブブブブブッ。留守電になったらしく電話が切れる。ともかく今は集中しなくちゃ。
ブブブブブッ、ブブブブブッ、ブブブブブッ。しかし尚も激しく震え出すスマホ。由香が諦めるはずもないか。えーい!この際止む無し!スマホを引っ掴みドアへダッシュ。
スマホにタッチして左耳にあて「ごめん!まだ会社!」と叫ぶ。
「えぇぇぇぇぇ?!」信じられない、と思う由香の心が凝縮した悲痛な叫び声が耳を劈く。
「何言ってんの?私待ってるんだからね。会社って何?仕事してるの?バカじゃないの。何で残業してるの?もう終わりなんだよ。あと2時間もないんだよ。だいたいね、いくら頑張ったって残業料もらえないでしょ~~~!」
そうだ。その通りだ。僕が残業料もらうべき時にはこの世界は存在しない。でも、僕も残業料が欲しくて残ってるわけじゃない。
「由香、聞いてくれ。これは僕と桑田課長の男と男の戦いなんだ。命を賭けた最終決戦だ。だから待っててくれ。必ず行くから。必ず駆けつけるからぁ~!」
 僕の絶叫はスマホを通して電波になって由香の心に突き刺さった、はず・・・。黙り込む由香。わかってくれたのかな・・・。
 と、突然僕のスマホが内部から爆発した、と錯覚するほどの大音量が僕の耳に弾けた。
「ばかぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 思わず耳を離す。ガチャッ!プープープー・・・。
 由香が思いっきり叫んだ後に電話を叩き切ったらしい。がっくり項垂れてしまう僕。しかし怒るのも無理はない。最後の晩餐ならぬ最後のカラオケ。楽しみにしていた笹部みはるのJOYのデュエット。僕が練習できなかったからそもそもデュエットは無理だが・・・。

由香には理解できないと思う。何故こんな時に残業するのか。僕ですらわからないのだから彼女にわかるはずもない。最愛の人を待たせたままプレゼン資料を作らなくてはならないこの状況は、誰に説明してもわかってもらえないだろう。


2016年10月4日火曜日

13.どうすりゃいいんだ!

 あああああ・・・。へなへなへなとその場に崩れ落ちる僕。四つん這いになって俯くだけの情けないこの感じ。絵里子が泣き出した。
「小西さん、どうするんですか。もう5時半過ぎてるですよ。だから、これじゃ荒いって言ったのに。やり直したら、やり直したら、会社で死ぬことになるじゃない。マキオが待ってるんだよ。マキオに会いたいぃぃぃぃぃ!」
マキオって誰だ。変な名前だな。どういう字を書くのか。混乱する頭が正常な機能を発揮せず、訳のわからない方向に向かう。
「小西、ちょっと聞いてくれ」
 サブリーダーの簗瀬が立ち上がった。
「お前の気持ちもわかる。どうしても時間までに仕上げなければならなかったからな。でも、課長の言い分もわかる。確かにお前のプレゼンはレベル以上だった。この限られた時間の中でここまで持って来たのは神がかり的だと思う。でも最高じゃない。うちの会社が大手に伍してここまでやって来れたのは、常に最高のクオリティを追及して来たからだ。模擬プレゼンがそこに達しない時は、いつも苦しみながらやり直して壁を乗り越えてきたじゃないか。もう一度やるんだ。これこそ日本橋広告社の魂だ!」
 真摯な瞳が僕を見据える。デザイナーの原田が立ち上がって口を開いた。
「簗瀬さんの言う通りだ。俺たちは最後の締めくくりの役を仰せつかったんだ。小西、もう一回チャレンジだ」
 コピーライターのさつきさんは泣いていた。
「小西君、わたしは・・・あなたを・・・信じてるわ・・・」
 くそぅ、やってやる。僕も男だ。そこまで言うならやってやる。
「わかりました。やります。課長を見返してやる!」
「それでこそ小西だ。よし、頑張れ」
 簗瀬が僕を抱え起こし、肩をポンポンと叩く。原田もさつきさんもうんうんと大きく頷いている。
「ところでな・・・」簗瀬が続ける。
「俺さぁ、子供が待ってるからそろそろ帰らなくちゃ、なんだよね。悪いけどお先に」
えぇー?!そんなぁ。僕も、私も、僕も、私も、と蜘蛛の子を散らすように足早に出て行くメンバーたち。
おぇー、ひ、ひどい・・・。残されたのは僕と絵里子。
「わ、私もぉー!」
と叫びながら走りだす絵里子。絵里子、お前もか・・・。
 会議室に一人残され途方に暮れる僕。腕時計を見たら5時55分。ハ、ハモりの練習は・・・。

パソコンを抱えフラフラとフロアに戻ると誰もいない。いや、一人だけ残っている。桑田課長だ。いつものように厳しい顔でパソコンを睨んでいる。どうしたらいいんだ。席に座り考える。
簗瀬には勢いに押されてああ言ってしまったが、もう仕事なんて関係ないじゃないか。どうせみんな今日死ぬんだ。当然由香との約束を優先し、何故歌いながら死ぬのかは別として、今はすべてを投げうって会社を出てカラオケに行くべきだ。当たり前のことだ。何が悲しくて桑田課長と二人っきりで会社で死ななきゃならないんだ。
7時までにプレゼン資料を作り直すのは不可能だ。どんなに頑張っても3時間はかかる。つまり完成はぎりぎり9時・・・。
ふうぅぅぅぅ。僕は深~いため息をつく。人生の岐路。人生はもうそんなにないけど岐路は岐路。行くべきか、行かざるべきか。「失礼しまーす!」と叫び駆け出せばすべては解決する。どうする博志。立ち上がれ。立ち上がってしまえば走りだせる。よし!行くぞ!と腰を浮かせた瞬間に、
「小西ぃぃぃぃ!早くせんかいぃぃぃぃ!」桑田課長が吠えた。はいー!条件反射で答えてしまう僕。
ごめんよ由香。会えないかも知れない。心の中で手を合わせる。理屈じゃないんだ。今の環境とこれまでの経緯や歴史や桑田課長との関係や、いろんなものがごちゃごちゃになって僕を席に縛りつける。
くっそー!やればいいんだろ!開き直った気持ちでパソコンを開けて画面を起動する。プレゼン画面を呼び出し修正を始める。ホントは僕にもわかっている。書き飛ばしたところを丁寧な表現に変え、ストーリーを固めつながりを良くすればいいのだ。しかし原稿は50枚強。そう簡単には進まない。ともかく作業に集中するしかない。

2016年10月3日月曜日

12.最後のプレゼン

それから30分、身振り手振りも加えて熱弁を奮った僕。仕事は地道な努力と瞬発力。気合いを入れればこんなもんだ!ってな感じで、突っ走った。絵里子のフォローも完璧。
「以上です。ご静聴ありがとうございました!」
叫ぶように締めくくると、おー、という歓声とともにメンバーから拍手が沸いた。やったー!終わったー、と絵里子を見ると、大きく頷いて拍手してくれている。やったなー。感概が胸を熱くする。
課長は、と見ると拍手どころか腕組みをして首を45度右に傾け虚空を睨んでいる。え?!このポーズって・・・もしかして・・・ダメ出しの時の・・・。
思う間もなく桑田課長がガバッと立ち上がった。
「小西、お前の仕事には心がない。きれいな花は枯れるだけ。雑草の強さが欲しい・・・」
呟くように言い残すと課長は僕に背を向けてすたすたと出口へと向かう。だめだだめだだめだ。やり直す時間はない。絶対に無理。しかも、そんな抽象的のコメント残して行くなんて、伝説の空手の師匠じゃないんだからさぁ。身体の中から突然湧き出る僕の叫び。魂の叫び。
「か、課長ぉぉぉぉぉ!許して下さいぃぃぃぃぃ!もう時間がないんですぅぅぅぅぅ!」
ドアに手をかけたまま振り向く桑田課長。身体は完全にドアに向かい、顔だけを45度こちらに向けている。眼鏡の奥の目がキラリと妖しく光った。
「お前はわかってるはずだ。これはやっつけ仕事だろ。日本橋広告社はな、山口一成初代社長の時代から、心を売る仕事を続けてここまで来たんだ。お前はこの最後の最後で、初代社長の顔に泥を塗る気か?えぇ?!小西ぃ、泥を塗る気なのかぁぁぁぁぁ?!」
吠える桑田課長。全員の血の気が引くようなこれこそ魂の叫び。僕もぞわっと全身の血が後ろに引っ張られる感覚に倒れそうになる。でも、由香の怒ってる映像がフラッシュバックし、課長に重なる。ダメだ。せめてもうちょっとツメないと。
「課長!どこを直せば!」食い下がる僕。
「やかましい!自分の胸に訊け!」課長は吐き捨てるように言うとドアの向こうに姿を消した。

  

2016年9月30日金曜日

11.プレゼン資料作るぜぃ!

 会社に戻ると1時前になっていた。
 よーし、やるか、とパソコンのロックを暗証番号で解除した途端に思い出す。ハモりの練習するんだった・・・。まずい、これはホントにまずい。マスターせずにカラオケに行った時の由香の反応はほとんどハズレなく予測できる。
「博志はやるって約束したでしょ!何で練習してこなかったの?私は約束破る人が一番嫌いなの知ってるでしょ!もう別れる!絶交!着信拒否!」
おー、おぞましい。今までも何度か小さなことでもめて復旧にものすごい労力を費やしたことを思い出す。ブルッと震えが起き、思わず両手で身体を抱きしめるポーズになる。
「小西さん、寒いんですか?風邪ですか?風邪引いたまま死ぬってどうですかね」容赦のない絵里子の突っ込み。
「だいじょぶだいじょぶ。仕事仕事」
僕は意識をパソコンに集中する。これを片付けない限り由香に会うこともできない。ともかくスピード優先。

パワーポイントにグラフィックやコピーを取り込んでレイアウトしていく。マーケットの現状やお客様の声など訴求ポイントにタイトル付けして並べ、ストーリー化する。いつもやっている仕事なので手は勝手に動いて作業が進行していく。分量があるので後は時間との戦い。項目毎に印刷をかけ絵里子がチェック。これもいつもの連携プレーだ。ちょっとした誤字脱字などを絵里子が赤ペンで修正し、同時並行で直していく。
「小西さん、ちょっと荒くないですか。悪くはないですけど緻密さに欠けるような」厳しい絵里子の指摘。
「だいじょぶだって。課長だって明日のプレゼンがないのはわかってるんだからそんな細かいこと言わないよ。それよりスピード優先。ほら、どんどん印刷するからチェックよろしく!」

だんだん調子に乗って来た僕はトップスピードでプレゼン資料を仕上げて行く。頭が考えなくても言葉が湧き出て勝手に手が動く。マラソンのランナーズハイみたいな神がかり的興奮状態。エンドルフィンが頭に充満してる感じだ。それでも分量が多く3時を過ぎてもまだ8割の達成度。よーし最後の追い込み。5時には絶対上げるぞ~!僕の勢いに押され絵里子も必死の形相でプリントされたプレゼン資料をチェックしていく。物も言わずひたすら作業を続ける僕と絵里子。そして4時50分、遂に完成した。

「よーしできた!小杉さん人数分コピーお願い。みなさーん、5時からミーティングしま~す。B会議室にお願いしま~す」
チームメンバーに声をかける。桑田課長の前につかつかと進み、
「課長も最終チェックお願いします。摸擬プレゼンやりますんで」
と言うと、課長はパソコンから顔を上げ、ん、と頷き立ち上がった。
5時からプレゼン30分やって6時までには会社を出て、ドトールでYouTubeを開き、笹部みはるのJOYを探してハモり練習。7時に八重洲のコーラスに余裕で登場、と、これからのスケジュールが頭の中で明確に描ける。よっしゃ!できた!パソコンを持って意気揚々とB会議室に向かう。プロジェクターにつないで準備完了。
「小杉さん資料配って」絵里子がてきぱきと8人のメンバーに資料を配布。
「じゃぁPC操作をお願い」セットしたPCの前に絵里子を座らせ、僕は会議室前方のプレゼン位置に立つ。白い壁面にプロジェクターからタイトルが投影される。
「山田技研様新商品キャンペーンに関するご提案」
 僕は大きく息を吸い込んだ。これは最後のプレゼンだ。創業58年。小さいながらも業界での地位を築き、マーケットで大手と凌ぎを削ってきた日本橋広告社の最終最後のプレゼンは、今僕がその役割を担うんだ。使命感が溢れ気合が入る。
「それでは、不肖小西博志が模擬プレゼンを行います」
 声高らかに宣言しいよいよ開始。由香、待っててくれよ。ビシっとやっつけてハモり練習もバシっとやって本番完璧にキメてやるからさ!


2016年9月29日木曜日

10.最後のランチ2

今年に入って世界は混沌として来ていた。
東欧で起きた領土問題をきっかけに、ロシアが軍事介入の機会を狙い、米欧は阻止に動いて激しい舌戦や挑発が繰り返されていた。中東の問題に出口が見えない中、核兵器が北朝鮮からテロリストに流失したという情報がハッカー集団から流れ世界を震撼させた。北朝鮮は肯定も否定もせず、狂ったようにミサイル発射実験と核実験を繰り返しており、緊張感がかつてないほど高まっていた。
1962年のキューバ危機以来の核戦争の可能性も叫ばれていたが、日本は相変わらず平和であり、また人間はそれほどまでにバカではないだろう、という楽観論が主流だった。
 そのような状況だっただけに今回の唐突な世界の終りの発表には違和感もあった。何故1年も前からわかっていたのに、米露はこんなにいがみあっていたのか・・・。

お店のお母さんが食事を運んで来たので話は一時中断。そう言えば朝からバタバタしてて何にも食べてなかったんだった。口にするときつねそばの鰹だしが染み渡る。美味い・・・。ミニ天丼もご飯の粒が立っていてサクサクの天ぷらとのコンビネーションが素晴らしい。
この店っていつもこんなに美味かったかしらね。最後のランチだからかな。ふと感傷的になる。外出が無い日はここ数年毎日このメンバーで昼飯を食べていた。

沈着冷静で黒ぶち眼鏡が理知的な村上と、身体ががっちりしてガッツのある体育会系の黒田、そして真面目で一生懸命だが時としてとんでもないことを仕出かす僕の三人は、同期で尚且つ同じ営業職ということもあり会社では仲が良いので有名だった。陰では三バカトリオなどと呼ばれてはいたが、全員成績を挙げており一目置かれる存在だった。
でもさぁ、苦しい時にも村上と黒田とのこのランチが息抜きになって、何とか気持ちを立て直したことも随分あったよなぁ。思い出していたら鼻の中がツンとしてきて、視界が歪んだ。
「何だ小西、泣いてんのか?」村上がひやかす。
「ばかやろう、泣くわけないだろ!わさびが沁みただけだ」
 ギャグで返したつもりが、涙がぽろっとこぼれてしまった。
「ばーか、どこにわさびが入ってんだよ」
黒田がからかうが、どこかしんみりしている。
それから僕たちは黙ってそれぞれの最期のランチを食べ、お茶を飲み、会計をしてのれんをくぐった。
「毎度ありがとうございました。またお願いします」
いつもと変わらぬお母さんの声に、また目頭を熱くする。またお願いします、か・・・。

2016年9月28日水曜日

9.最後のランチ1

 会社のある日本橋室町はランチの宝庫だ。老舗からチェーン店まで何でもござれ。しかし混んでいるのが難点。比較的空いている蕎麦屋に入った。村上はかつ丼そばセット、黒田は冷やしたぬきそば大盛り、僕はきつねそばとミニ天丼のセットを注文。おしぼりで顔を拭く。
「しかしホントに今日で終わりかね」と言うと、村上が諦め顔で
「ホントらしいねぇ」と言う。
「しかしホントにこの時が来るとすることないもんだね」黒田が渋い顔で言った。
「そうなんだよ。自分だけが死ぬんだったらさ、いろんな人に挨拶したり言い残したり、親兄弟とか彼女とかに会って涙ながらに話すんだろうけどさ。全員いっぺんにだからな。不思議なもんでみんなそんな風に思うんだろうな。世界は全然普通にいつもと同じに動いてる感じだよな」
村上も冷静に言う。
なるほどなぁと思う。自分だけが死ぬわけじゃなく、世界が全部同時に終わってしまうなら、最後に何をするってこともないのかもな。
「でも若干タイムラグがあってさ」村上が言う。
「どういうことだよ」と訊いてみると、
「俺さ、午前中時間があったから詳しくネットで調べてみたんだよ。そしたら小惑星が向かってるのは太平洋沖の日本近海らしいんだ。直径370kmの惑星が時速3万kmで突っ込んで来る。これが落ちると日本は一瞬で焼き尽くされるらしい。惑星が融解してマグマ状になって地球に衝突すると地殻がめくれ上がって円形に広がって巨大なクレーターみたいになる。そしてこのクレーターみたいなとこから惑星がどろどろに溶けて流れ出して地球上に広がる。丸一日で地球は滅亡ってわけだ」
丸一日で世界のすべてが焼き尽くされるのか・・・。
「地下はどうだ。シェルターとか」村上に訊いてみる。
「流れ出すマグマは1500度から5000度の高熱と言われていて、すべてが焼き尽くされる。地下のシェルターだって人間が生きれるような温度じゃないって。海も同じだ。海水もすべて蒸発するらしい」
「それは公式な発表なのか?」黒田の問いに村上は頷く。
「アメリカ大統領が午前中に演説をぶっている。静かに時を過ごそうって」
「しかしさ、何で今頃発表するのかね。もっと早くわかってたんだろ?」
僕が訊くと、村上はアメリカ人みたいなOh!No的な仕草で、
「勿論わかっていたさ。NASAでは1年前くらいに掴んでいたらしい。でも、手立てがなかったんだ。1年後に地球が終わります、ってアナウンスしたら何が起きる?ただの混乱だよな。時間がありすぎるのは混乱しか生み出さないだろ。だから徹底的に隠したんだろうな」と言って微笑んだ。
「賢明な選択ってやつだ」
賢明な選択か。なるほどね。
もし、何か逃げ延びる方法があるのなら世界は大混乱となるだろう。金持ちや権力者が我先にと逃げ出し、暴動や殺し合いが頻発してもおかしくない。しかしまったく誰一人逃げることが不可能なら確かに心静かに過ごすしかないのかもしれない。


2016年9月27日火曜日

8.何とかしなくちゃ

しかし成り行きとは言えこんなに普通にしていていいのか、と釈然としない思いに駆られる。僕は今夜9時に死ぬことになってる。他にすることはないんだろうか。田舎に帰って一目母に会おうか。しかし会ったところで母も同時に死ぬことになる。死ぬというか、世界が全部無くなるわけだから、普通に死ぬ時みたいにやり残すことや言い残すことなどの未練は基本的には存在しないのだろう。

最後の晩餐はどうだ。一番好きなものを最後に食べるってのは。僕が一番好きな食いものはなんだ。そりゃつけ麺だな。昇龍軒の魚介濃厚つけ麺。つけ汁が太麺に絡んで最高に美味いんだよな。ぶっといシナチクや厚めのチャーシューも絶品。
由香と行くか。いや、由香はイタリアンが好きだ。アルイタリアンテのディナーコースが良いって言うんじゃないかな。しかし、しかしだ。食べた後すぐに死ぬってどうだ。食べてすぐ寝ると牛になるって言うけど、食べてすぐ死ぬとどうなるんだ。しかも普通に死ぬんじゃなくて惑星の衝突で死ぬんだから、一瞬で焼き尽くされる感じか。んー、何だか食欲なくなってきたな。焼かれる直前に食べるのもな・・・。

プレゼン資料にハモりの練習、最後の晩餐などなど、考えれば考えるほど混乱してくる。何だかとても追い詰められた気持ちだ。でも由香と約束した以上ともかく7時には八重洲のコーラスに行かなくてはならない。となれば、ギリギリダッシュで6時50分には会社を出なくちゃ。おー、これはただごとではないぞ。僕は慌てて席に舞い戻り資料のダウンロードの続きを再開した。

僕と絵里子以外の6人は自分の仕事を終えており、割とのんびりムード。デザイナーの原田はコーヒーとかを飲みながら雑談している。
「今日は早めに失礼して家でゆっくりその時を迎えようかな。息子もまだ3歳だからパパ、パパってまとわりついてくる年頃だしね」
原田は2こ先輩だが、4年前に結婚して男の子がいた。
「そうよね。昨日は夜中まで頑張ったんだから後は小西くんと絵里ちゃんに任せて私たちは早めに上がらせてもらおうかな」
コピーライターのさつきさんも余裕の表情。益々焦る僕。確かに分業態勢なので他のメンバーにできることはない。全体をまとめて資料を完成させるのは僕と絵里子の仕事だ。でも何だか釈然としない。こんな大事な時に何で僕だけこんなにテンパっているのか。
「ねぇ、小西さん、お願いしますよ。私だって今日は早めに上がりたいんです。彼氏からメール来てるし」
絵里子が縋るような目で僕を見る。絵里子も今日は化粧ばっちりで勝負服的なワンピースを着ていた。最後に彼氏に会いたい気持ちは痛いほどよくわかる。何とかせねば、と強く思う。
「わかった、わかりました。何とかするからさ。共有ドライブのデータ今落としてるから。あとレイアウトしてスクリプト作ればいいんで、夕方までには何とか終わらせるよ。ラフのレイアウト作っておいてもらいたいんだけど」
「わかりました。小西さんはスクリプトに集中してください」
気合いのこもった目で僕をまっすぐに見つめる絵里子。僕にも自然に気合いが入る。絵里子と話したら何だか出来そうな気になって来た。グラフィックもコピーも完成度に問題はない。問題は課長のちゃぶ台返しだな。熱血桑田課長はたまに全部やり直し!的なちゃぶ台返しをかますことがある。しかしまさか今日はそんなことはしないだろう。どうせ通るはずのないプレゼンの資料なんだから、完璧を求めるということもないはずだ。基礎資料を整理しているうちにあっという間に昼になった。
村上が寄って来て、
「昼行くぞ」と言った。後ろに黒田もいる。いつもの同期三人組。昼休み潰して作業した方がいいかな、と一瞬思う。でも何とか大丈夫そうだな。まいっか、と絵里子に、昼行って来る、と声をかけて立ち上がった。
「大丈夫ですか?そんなのんびりしてて」
不安そうな棘のある声で絵里子が言う。
「大丈夫だよ。任せといて」
小声で言ってドアに向かった。



2016年9月26日月曜日

7.カラオケ行かなくちゃ!

 広告代理店の仕事はいつも締切りに追われている。明日のプレゼンは先週急に入って来たデカイ案件で、うちの課の8人が役割分担してそれぞれ作業を進めていた。グラフィックやコピーの担当からデータが昨夜遅くにパソコンの共有ドライブに集まっており、僕と絵里子がそれらをまとめて今日企画書として完成させる手はずになっていた。

よーし!と気合いを入れて共有ドライブを開けデータの取り込みを始めたところで、机に置いてあったスマホがブルブルと振動を始める。手に取ると由香の表示。おっとこれは大変。スマホを持って立ち上がりまた廊下へダッシュ。慌ててタッチすると、
「あ、博志?だめでしょ、勤務時間中に電話しないでって言ってるでしょ!」
  いきなり責められテンションが下がる。
「そりゃそうだけどさぁ・・・緊急事態だから・・・」
「でも、仕事中にかけられても困るのよ。周りも見てるでしょ。博志の気持は勿論わかってるよ。私だってどうしたらいいかわからないのよ。博志と同じ気持なの。でも今日の夜は大丈夫なんでしょ。私カラオケ行きたいんだよね。最近歌ってないし。笹部みはるの『JOY』練習したんだ。YouTubeで1時間も。もう完璧なんだから。せっかく練習したのに歌わないで死ぬなんて絶対イヤなの。ねぇ、サビのハモリんとこ博志も練習しといてよ。あそこが一番カッコイイから。じゃぁお願いね。7時に八重洲の『コーラス』予約しとくからね」
ガチャ、プープープー・・・。小さい嵐のような由香の電話。自分の言いたいことだけ言ってふいに切れた。
はぁぁぁぁぁーと大きなため息が出る。カラオケねぇ・・・。地球最期の日にカラオケかぁ。何故こんな日に由香とカラオケでデュエット?まぁいいけど。
しかし、待てよ。笹部みはるのJOY全然知らねぇし。笹部みはるは知っててもJOYねぇ、そんな曲あったかな・・・。
 由香は優しくて良い子なんだけど、頼んだことを僕がすっぽかすと異常なテンションで怒るのだった。昼休みにYouTubeで覚えとかないと大変なことになるな・・・。


2016年9月23日金曜日

6.ホントにプレゼンやるの?!

 席に戻ると隣の席に座っているペアの小杉絵里子が声をかけてきた。二つ後輩の絵里子とはもう2年もコンビを組んでおり気心が知れている。
「小西さん、明日のプレゼン資料まだ出来てないですよね。課長がさっきどうなったって訊いて来たんですけど」
おー、そうだった。昨日木下たちと飲みに行ってしまうことにしたので、今日は早朝出勤でとっかかろうと思ってたんだっけ。すっかり忘れて目覚ましも普通にかけてしまってた。いかんいかん・・・。
しかし、と思い直す。明日のプレゼン?!
「明日って、プレゼンはないよね」
絵里子は平気な顔で、
「そりゃそうですよ。今日で地球は終わりなんだから。でも課長は仕事はそういうもんじゃないって。いくら言っても無駄だと思いますよ」
と言ってニコッと笑った。
そういうもんじゃなければ一体どういうものか。ありもしないプレゼンの為に今日一日はっちゃきになって資料を作るのはどうなんだろう。って言うか無駄だよね。だんだん腹が立ってくる。一体みんなどうなってるんだ。
僕はすっくと立ち上がり、大股で課長の席に向かった。怒りが普段では考えられない強気な行動に僕を駆り立てていた。桑田課長の前で仁王立ちになった僕は、パソコンで作業をしている課長を睨みつけてこう言った。
「課長!ありもしないプレゼンの為に大切な一日を無駄にするのはおかしいと思います!」
桑田課長は驚く様子もなくパソコンから顔を上げ老眼鏡を外し、座ったまま僕を見上げた。そして目を細め僕の顔を見た。鋭い眼光に射すくめられドキッとする。この目をした時はカミナリが落ちるんだった。経験則が瞬間的に僕の首を縮めさせる。
「ばっかやろぉぉぉぉぉ!」
50人くらいのフロアに響き渡る桑田課長の怒号。全員がぐわっとこっちを見る気配が空気を震わせる。
「小西ぃ!お前はまだわからんのかぁ!」
思わず一歩後ずさりする気弱な僕の足。
「仕事の基本はな、お客様の為に努力することだ。最大限に努力できるかどうかだけが我々が意識する唯一のことだ。後は関係ない。仕事が取れるかどうかは結果だ。自分目線で結果だけを考えてるからそういうことを言い出すんだ。まだわからんのか、お前は!プレゼンがあるかないかは関係ない。今日中に資料を作成するのはお客様との約束を守るための最低限のスケジュールだ。お客様との約束は絶対だ。地球の終わりぃ?それがどうした。四の五の言ってる暇があったらすぐとりかかれ!」
火を噴く勢いの桑田課長。怒鳴られると何だか課長の言っていることが正しいような気がしてくる。
「は、はい・・・。申し訳ありませんでした。以後気をつけます」
あー、また言ってしまった・・・。条件反射とは恐ろしい。ベルが鳴るとよだれを垂らすパブロフの犬。桑田課長に怒鳴られると思わず謝る小西博志。これじゃパブロフ小西だよな。すごすごと席に戻ると絵里子が小声で、
「ほーらね、いくら言ってもダメだって」
と言った。仕方ない。やるしかないか・・・。

2016年9月21日水曜日

5.由香

僕はそっと席を立つと廊下に出た。スマホを取り出して着信履歴から由香をタッチする。早く声が聴きたい。ワンコールで由香が出た。
「桜井です」快活な声。
「大変なことになったね。今大丈夫?」
「いつも有り難うございます。ただいまちょっと取り込んでおりますので、後ほど当方からお掛け直しいたしますがよろしいでしょうか?」
打ち合わせ中かな。由香は営業をやってるから、打ち合わせが多いっていつもこぼしてたっけ。でもこんな時になぁ・・・。
「わかった。じゃあ待ってるね」
「有り難うございます。それではよろしくお願いします」
由香は最後まで営業スマイル的なトーンで電話を切った。ふぅー、とため息が出る。真面目でしっかり者の由香。仕事は常に全力投球。会社でも笑顔で頑張ってるんだろうな。

由香とは3年前に村上がきっかけで知り合った。村上が由香の勤めている商社を担当してて、合同で飲み会をする企画が持ち上がり僕と黒田にも声がかかったのだ。その10人ほどの飲み会で僕たちは知り合いメルアドを交換した。
僕は福島の出身で大学から東京に出て来ていたが、由香も仙台の出身で同じ東北の生まれということもありすぐに打ち解けた。しばらくメールのやりとりをするうちに二人だけで会うようになり、由香の人柄に魅かれ付き合うようになった。小柄で可愛いのは僕のタイプだが、ブランド志向ではなく自分のセンスをしっかり持っている由香の価値感が僕の感性にぴったりだったのが決め手だった。
あれから3年、真面目だが怒り出すと止まらない由香の性格でピンチもあったが、去年の秋に福島に一緒に帰り、実家の母にも紹介し結婚に賛同してもらっていた。由香の両親にもこの正月に挨拶に行った。二人ともとても優しい人で歓迎してもらい、また弟さんと妹さんともお話しすることができて嬉しかった。僕は一人っ子だし、父が5年前に亡くなっていたから親族が増えることはとても心強いことだった。長男、長女の結婚でハードルもあるのかな、と心配したが、みんなに温かく迎えていただき心から感激した。だからホントにもうすぐだったのだ。はっきりとは決めてはいなかったけど、来春くらいに式を挙げることになるのかな、と二人とも思っていたのだ。まさかこんなことになるなんて・・・。

気がつくと僕はスマホをぎゅーっと握り締めていた。由香のことを思うと胸が締め付けられる。由香は今日も会社に普通に行って忙しく仕事してるみたいだ。みんなそうなのかな。母も課長も由香もみんなほとんど普通で、いつもと変わらない一日を過ごそうとしている。泣きわめいたり、取り乱したりせずに、ただ淡々と普通の一日を始めている。そういうもんなのかな。考えたこともないからわからない。しかし、僕はどうすればいいのか。最後の一日はあと11時間半・・・。





2016年9月20日火曜日

4.遅刻

 イライラしながらエレベーターを待って、11階のフロアに着くなりドアに飛びつきガバっと開けるとフロアに入った。
「すんません!遅くなりました!」
課長の席へ向かいながら叫ぶ。桑田課長は遅刻が何より嫌いだから、こういう時こそ元気よくやらなくてはいけない。今まで散々痛い目に遭ってきた経験が生きる局面だ。
「何やってんだ、小西ぃ!7分も遅刻しやがって!」
イメージ通りの桑田課長の怒鳴り声。
「いや、ちょっと、今日で地球が終わるらしくて・・・」
「それがどうしたんだ!」
輪をかけて怒鳴りつけられた。それがどうしたって言われてもなぁ、と思ったが口答えすると余計ややこしくなるので我慢した。
「申し訳ありませんでした。以後決してこのようなことは」
勿論以後はないのだが、慣用句である。
「よしわかった。気をつけろよ」
いつもよりあっさり許す桑田課長。やっぱり地球の終わりだからか、と納得すると同時に、今までで一番の現実感が込み上げて来た。課長がこの程度で許すのはやっぱ異常だよな。ホントに地球は終わりなんだな、と。
課長に一礼して席を離れ、ドアに近い自分の席に腰を下ろすと、後ろからポンっと肩を叩かれた。
「また、やられたな」
振り向くと隣の課の村上だった。いたずらっぽい笑いを浮かべている。
「まったくさぁ・・・。朝テレビを付けたら地球が終わるって言うから田舎の母に電話してるうちに遅くなっちゃってさ」
「そうか、そうだよな。俺もさっき来たばかり。みんないつもより遅かったみたいよ。急にあんなこと言われちゃさ、気持ちの整理がつかないよな」
みんなそうだったんだとちょっと安心する。
「でもさ、何で急にこんなこと発表してるわけ?もっと早く分かってたんだろ」と訊いてみると、
「勿論分かってて、アメリカが中心で対策を講じてたらしいんだけど、結局どうしようもなかったらしい。アルマゲドンみたいなわけには行かなかったってことだな」
村上は淡々と答えた。
そう言えばアルマゲドンでは小惑星の地中深く核爆弾を仕掛けて爆破してたもんな。あれはやっぱり映画の中の話ってわけか。
「そうか。ホントに終わりなんだな・・・」
更に現実感が強くなり、急に胸が締め付けられて来た。そうだ由香だ、由香に電話しなくちゃ。
「じゃあまた後で。昼一緒に行こうな」
村上の言葉に右手を上げて応えながら思い出す。そうだ由香に電話しなくちゃ!



2016年9月16日金曜日

3.最後の出勤

 駅に着くとそこにはいつもと同じ光景が待っていた。人の溢れかえる京急平和島駅の改札口。僕は人の間を縫って猛然と突っ込んだ。階段を2段飛ばしでホームに駆け上がると、丁度電車が滑り込んで来た。特急高砂行き。いつもと同じ超満員だった。変だよね、何でみんな普通に会社に行くんだろう、と思いながら、自分も無理矢理身体をねじ込みドアに張り付くようにしてようやく乗り込む。
「いてぇな!こらぁ!」
誰かが足を踏んだらしい。こんな風景も今日で見治めか。東京の異常と言えるこんな日常も、今日で終わりとなると何だか愛おしくも思えて来る。電車に揺られ押したり押されたりしながら考える。この人たちはみんな知っているんだろうか。テレビを見ないで家を出て来た人が大半なんじゃなかろうか。そうじゃなければこんなに落ち着いてられるはずがないよな。
その時運転士の車内放送が響き渡った。
「本日はぁご乗車いただきぃ誠にありがとうぉございます。本日のご出勤がぁ皆様最後のぉご出勤でございます。どうか最後のご退勤もぉ、京浜急行をご利用くださいませ~。最後のぉ瞬間はぁ是非ぃご自宅でぇごゆっくりぃお過ごしぃくださいぃ~」
驚きの声はどこからも上がらない。それどころか、くすっと笑い声が聞こえ、なるほどうまいこと言うな、などという独白も聞こえて来た。車内に和んだ感が充満する。和んでる場合じゃないよな、と思いながら、自分でも何となく口元がほころんでしまう。


最期の瞬間は夜9時か。8時頃の電車に乗らなくちゃな、と思ってみるものの、誰もいない一人暮らしのマンションに帰っても仕方ないと思い直す。僕は今日は誰と何をして過ごすんだろう、と不安になる。普通であれば会社にいる時間だ。
最近は新しいプロジェクト案件の見積もりやミーティングで会社を出るのはだいたい9時過ぎだから、今日も普通に行けばそんな感じだろう。しかしまさかね。会社で死ぬなんて絶対イヤだ。
今日は火曜日か・・・。そうだ!由香と会う約束してたんだった!由香に会って一緒に死ぬならまだいいな。良くはないけど仕方ないもんな、と考えたら少しましな気分になった。


由香とは付き合ってもう3年。結婚の約束をしている。由香が今28だから、来年には籍を入れたいって言われている。やっぱり30前にはね、と由香は笑っていた。その笑顔を思い出し切なくなる。小柄でキュートな笑顔の由香。商社の総合職として頑張って働いてるけど、僕には時々愚痴を言ったり涙ぐんだり、結構苦労してるみたいだ。あー、結婚できなかったな。守ってやれなかったな。申し訳ない。いや、僕のせいって訳じゃないけどさ・・・。


そんなことを考えているうちに日本橋に到着。時計を見ると、ありゃ!9時5分前!僕は慌てふためいて地下通路を全力で走った。

2016年9月15日木曜日

2.本日地球最終日?!

見慣れたいつものアナウンサーはいつもと表情を変えることなく淡々とマイクに向かっていた。
「先ほどもお伝えしましたように、本日夜9時頃に地球は終わりとなる見通しとなりました。人類の最期を我々が看取ることとなった責任を噛みしめて、今日一日皆さんと一緒に元気に過ごしたいと思います。それでは今週のお天気です」
画面が各地の天気予報に切り替わる。全国ほとんど晴れマーク。
「それでは一週間のお天気です」
一週間って、今日で終わりなんじゃないの?未だ全然廻らない頭で思わず突っ込む。しかし、国営放送でこんな冗談言うのか?ハッと気づきチャンネルを4に切り替える。
「本日地球最終日」のタイトル。地球最終日だぁぁぁぁぁ?!そんな言葉聞いたことないし。聞いたことある方がおかしいが。
よく見る女性のアナウンサーがにこやかにコメントしていた。
「小惑星の衝突ということで、本日夜9時頃に地球滅亡と発表されたわけですが、山田さんどのようにお感じになりますか?」
「そうですねぇ、確かに状況を確認してみると間違いないようですね。まぁ仕方ない、ということになるんでしょうね」
新聞社の主筆とかいう50過ぎくらいのオヤジが、重々しい雰囲気で答える。
仕方ないったって・・・。


 どうやら小惑星が地球に衝突するらしい。しかし何で急にそんな話になるのか。テレビ局がつるんでドッキリでも仕掛けてるんじゃないのか。リモコンでチャンネルを次々替えてみるが、5も6も7も8もみんな同じだった。
地球最期の日。リアルに本当らしい・・・。

ハッとしてスマホを探す。ダイニングテーブルの上にあったので、慌ててアドレス帳から田舎の福島で一人暮らしをしてる母を呼び出しタッチする。トルルルルー、トルルルルー・・・。
「ハイハイ~小西ですけどぉ~」相変わらずのんびりした母の声に何となく安心する。
「あ、かあちゃん、俺、博志」
「あら、なんだべね、こんな朝っぱらから珍しい」
「珍しいも何も地球が終わるってテレビで言ってたけど知ってる?」
母は慌てる様子もなく、
「あー、そのことね。びっくりしたねぇ。でもよ、ま、みんな一遍にっつぅんだったらしょうがねぇべした。あんたやあたしだけっつぅんだったらいやだけどもね」と言う。
 まぁ、そう言われてみればそんな気もするが、今日でみんな死ぬっていうのにこんなに落ち着いていられるものか。それとも僕がおかしいのか。
「まぁ、そりゃそうだけどさ。でもホントにホントなのかね」
「朝からテレビでずーっと言ってっから、ホントなんだべね。まぁ、仕方ねぇべした。そろそろケンタの散歩いくからまたね」
ケンタは5歳の柴犬で、父が脳卒中で倒れ亡くなった直後に母が飼い始めたパートナーだ。母は父の生まれ変わりと公言して可愛がっている。
「わかったよ。じゃぁ切るよ。じゃ元気でね」
「はいはい~、博志もね」
電話を切って思う。口癖で出てしまったが元気でね、ってさ・・・。
 由香にも電話しなくちゃ!更に慌てて着信履歴からタッチ。
 トルルルルー、トルルルルー・・・。呼んでいるものの出ない。そのうち留守電に切り替わった。どうしたんだろう、と思っていたらメールが着信。
「おはよう。今電車だから出れません。博志も遅刻しないようにね」
遅刻?!どうやら由香は普通に出勤途上らしい。しかしこういう時は会社に普通に行くものなのか。経験がないから判断できない。時計を見ると8時を過ぎている。やばっ!
条件反射で身体が動く。Yシャツを着て1分で髭を剃り、顔を洗って歯を磨く。寝ぐせでクチャクチャの髪にハードムースを付けて何とか整える。その間たったの5分。ネクタイを締めて鞄を抱えて家を飛び出したのは8時20分過ぎだった。
このままじゃ遅刻だ。課長の怒鳴る顔が目に浮かぶ。課長の桑田のあだ名は瞬間湯沸かし器。小さなことですぐかっとなり、怒鳴り散らす。慣れてはいるがめんどくさい。僕は駅までの徒歩十五分の道を全力でダッシュした。何とか間に合ってくれ~、と心の中で叫びながら。

2016年9月14日水曜日

1.二日酔いの朝に~プロローグ~

 頭の中のずーっと遠くで何か音が鳴っている。
う~~~~~~。なんだぁぁぁぁぁ。うるせぇぞぉぉぉぉぉ。その音は徐々に輪郭をはっきりさせ、僕の頭から飛び出して外側から鳴り出す。
ジリリリリリン!ジリリリリン!
目覚ましかぁ。く、くそう、もう朝になっちまったのか・・・。眼を瞑ったまま手探りで布団から左手を伸ばし目覚ましを探す。あるはずの場所に目覚ましはなく、空しく虚空を彷徨う僕の左手。
ジリリリリリン!ジリリリリン!
わかった、わかったよ、起きればいいんだろ。のろのろと布団を剥ぎ、起き出す。目覚ましは、と見れば倒れてやがる。いつの間にか倒れて仰向けになった目覚ましを手に取り頭をペンっと叩く。ジリ・・・。もっと鳴っていたそうな風情の目覚ましを畳の上に正座させ、僕も布団に正座する。7時か・・・。5月の朝は特に眠いが二日酔いの日は尚更だ。

昨日の夜は会社の同期の村上たちと終電まで飲んで、よろけるように這うように何とか家にたどり着いたのが1時前。必死の思いで風呂に入ったものの、予想通り風呂の中で失神してしまい風呂から出たのは2時前になっていた。倒れこむように眠りに落ちて5時間か。でも結構寝たな、と少し安心する。しかし何で月曜日なのに終電まで飲むかな。もう30過ぎにもなる男たちのすることじゃないよな。村上はまだましだけど、黒田が悪いよな。酒癖悪いもんな。もう一軒、もう一軒と結局3軒。男ばっかで居酒屋をはしごするような馬鹿なマネはもう金輪際しないぞ。
フラフラと立ち上がりキッチンでやかんに水を入れて火にかける。マグカップにインスタントコーヒーをスプーン一杯と砂糖を少々入れて、あっと言う間に沸いたお湯を注いだ。
やっぱ朝は糖分が必要だよね。ブラックはダメだよね。低血糖症だと頭回んないもんね、などとぶつぶつ呟きながら、買い置きのドーナッツを咥えたまま左手にマグカップを持ってリビングのソファーに腰を下ろす。いつものようにリモコンでテレビのスイッチを入れた途端、画面の白抜きの文字に目を見開いた。
「本日地球最期の日」
な、何ぃぃぃぃぃ?!

主な登場人物
小西博志:主人公。広告代理店勤務のサラリーマン。
桜井由香:博志の彼女。商社勤務。
桑田課長:博志の上司。あだ名は瞬間湯沸かし器。
村上:博志の同僚。同期。
黒田:博志の同僚。同期。
小杉絵里子:博志の同僚。ペアを組んでいる。